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2013/07/13

コンサート日和(130713Zub演奏会編)

Sinfonia Zubrovka(ズブロッカ オーケストラ)さん演奏会@すみだトリフォニーホール へ,,,久々のアマチュアオケ演奏会鑑賞。

じっとり,暑い,,,。
蒸し蒸し,,早くホールの冷気が。。。
オケZub,この日は客席から,,月末は舞台から
詳細すみだトリフォニーから
3階の回廊
天井が近い
3階の一人座り席へ。。
この回廊的な狭い空間がなんとも楽しい。災害時は,恐そうだが。。。しかし,空調が低調。。節電してるのかなぁ〜,,いや3Fだからダメか。。。トホホ。
聴く分には,一人で気兼ねなくOKな席だ。
 
手すりが邪魔だが,音を聞く分には申し分なし。低弦もストレートにしっかり観察・観聴できるわけだ。演奏フォームもしっかり評価できそうだ。
皺紙なデザインなので,決して乱暴に扱ったわけじゃない。
内側も同じ印刷で,読みにくかった。。。

Verdi, Giuseppe Fortunino Francesco (1813-1901) : The Force of Destiny, Overture
Ravel, Maurice  (1875-1937) : Ma mère l'oye
Prokofiev, Sergei Sergeyevich (1891-1953 ) : Symphony No. 5 in B-flat major (Op. 100)
マエストロ,金山隆夫

音楽:全て演奏した事のある曲目だが,案外細部を覚えていないのかも。しかし流れは,しっかり染みついている。『運力』は小学生の頃から,,その分音楽的手抜きがサラッときこえてしまう。演奏する方は,けっこう大変な曲であるけど,ヴェルディは,技術的にはサラッと弾けないと意味無し。Mozartに通じるのかな,,アマチュア向きでは無いのかも。
演奏は,分厚い音に,しっかり音出しな感じが印象的。基本構造としては,とてもしっかり弾き・吹いていた。その分,対照的に細かい部分が気になってしまった。曲を知っているゆえの,ある意味マイ弊害で,ただ楽しんでの鑑賞ができないのがむしろ辛いところだ。
『運力』TbとCbとのアンサンブルがとても気になった。お互い都合で,個別にさらりと弾けているが,アンサンブル出来ないと,意味が無くなってしまうのが音楽ってコワイところ。Cbにフォーカスすれば,さらりと弾きすぎなのかも。産みの苦しみ的な,,列んでいる音を弾きだけでは,音楽を語らなくなってしまう,むしろ能面的(能には別の視点があるが)で,エモーショナルなダイナミズムを削いでしまう,,奥の深い序曲である。
・・・・・・・・・・・・・・
Fg,Tb,Vc,Cbの通奏低音的な繰り返しメロディ。
それもpppな指定,これをしっかり弾き音楽効果的にきこえさせるのは,技術的にも相当難し,,3連符や3つ列ぶ音の意味ってなにか,いろいろ考えるよなぁ。

アンサンブルのためのバランスだが,3FのCb正面のせいか,ダイナミクス差がどうも分かり難い。オケ全体も,吹奏楽的な,,羊羹形状音のような。要するに,音の長さ・響きの音楽的減衰が足りないようだ。反面,全体によく鳴っている。音の減衰は,心地よさを生むのだが,今回は迫力ばかりというきこえ方だったかもしれない。

Cbな演奏フォーム,左肘は,少し自然になった?!,いや上からだと分かり難いのかも。右肘を効果的に使っているのは,,,鞭運動は,手首だけで止まってしまっている。弓手で弾き終わりのフォロースルーもチラチラ散見されたが,音のための動きとは関係ないけど,弾き手が音楽にのるためにはひつようのかなぁ。。。音がでる=振動する=共鳴するという運動的には無駄である事は間違い無い。必要なフォロースルーとは,つぎの運動の準備なので,「気持ちよく振り上げ」「奏者が気持ちよくなる」は,聴き手には無意味である場合が多い。奏者のヨガリを楽しみに観るという客には良いのかもしれないが。
TOPのザッツ,,,。おいらには分からない。パート内で音楽,ザッツが図形化できるのは,身体運動を伴った弦楽器特有である。これを使わないは,音楽のために何もしない,マエストロ図形も観ないに通じるだろう。要するに,マエストロな図形の変換がザッツであるともいえるのだが。いずれにしても,一人一人マエストロを観れば良いのだろうけど,,,そしたらTOPは寂しくなるなぁ〜。

全体に気になったのがオケな雑音。いろんな音もしていたが。緊張が解け,休むときの音って,良くきこえるのものだ。これも3F効果?!,,東京文化ではそんあことないしなぁ。。雑音は音楽じゃ無い。。。ミュートを脱着するのも,ラベルは特に忙しいが,がさごそやる曲ではないよなぁ〜〜,フラジオレットを駆使しして,オケ倍音を作ろうとする意図なのだから,その空気をよどませては,いかがなものか。それはそうと,ラベルの醍醐味は,やはり音のメリハリと音色の変化だ。オケや各パート楽器が,音だし装置;インスツルメントだけに徹すると面白くなくなる。現代前衛音楽だと,むしろ機械的な音を生むためにエモーショナルな音楽的動きを封じる奏法はあるかもしれないが。

図形から読み取る事が全てだが,対峙することもオケの楽しみである。今回は,なんとなく,どこかに妥協した図形としてコンパクタイズされたような印象があった。無理やりオケから音楽や音を引っ張りだそうと無理をする,乱暴な図形があってもよかったかも。とはいえ,脱力され,良く洗練された図形だなと思えた。ラベルやプロコフィエフにはとても向いていたと思うが,プロコのドロッとした低音のうごめきには少し向いていないのかも。そのせいか,プロコも良く音がでていたが,背景的な音楽の動き,特に低弦の動きがとても機械的であった。もっと,モソモソとした感じが必要だ。つまり,弾きが浅い響き・・・音がでるのに,時間を必要とする重たさ・・・実際に弓がもっと遅くなるはず,,が必要だ。これは技術ともいえるし,弦楽器・低弦的な音楽センスにつながる。

音楽センス・プログラムを演奏会に活かすことは,難しい。今回の組み合わせは,いつものZubプロより良いと思ったが,やはり難しいかも。ポリシーは貫け無いにしても,なにかテンポや音色にもっと反映されるはずだと思った。若人なオケなので,宇宙の背景放射のようなものがなく,刹那にそこにあるモノだけに終始してしまうのかも。

などなど,オケバランスなども久々にじっくり聴いてみた。すばらしい部分は随所に散見されメモも出したが,次の音楽的ステージにブレイクスルーしてもらうために次のための事を抽象的にメモとする。いろいろ考えさせられ,よい演奏会であった。


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