カラーフィルハーモニーオケで演奏会@杉並公会堂
元オケからスピンアウトして,新装オケとなり,第1回演奏会というはこび。
弦もキッチリ運営負担する方向転換。
結果として,寄生的な集いでは無くなったので,よい集いになったはずだ。
音楽もよい方向へのはず。
寄生的な打算がない分,少し音楽的に研ぎ澄ました結果,楽しさ半分,課題半分。やはり,音楽こころを研澄ますということは,きこえてしまう痛みも伴うもの。痛みの先に緩和があればよいのだが,はたしてそれは訪れるか,,数日脳内消化が必要だと思われる。
まずは,良い事から書き綴る。
兎にも角にも,新装立ち上げの運営のみなさまに感謝2。音楽・演奏を,今一度考えるチャンスが与えられた感で,言葉通り感謝♪ 久々に,真摯に演奏してみようという思いを巡らしてみる。新装誕生という場面のせいかも。何ごとも,新しくはじめるはよいことである。新しい試みは,真の共感者をフィルタリングするには,よい仕組みとも言えるし,勘違い・見当違いの始まりでもあるので,2,3回観察が必要だろう。寄生が現れたら去れば良いだけのことだ。
そして,何よりもオケマン演奏なバイオリン協奏曲演奏に参加できて,改めて音楽に神髄というか,自然な・当たり前の良さというか,無理して作られたものではない,到達するべきものとでもういか,そんな『音楽』なこころに向き合う瞬間があったのは,音楽記憶にしっかり刻まれた。これも感謝。
オケマンとのソロ合わせは,音楽愛,つまり合奏することの喜びに満ちあふれているし,結果的に音を「聞いてもらう」という,自然な愛情が満ちあふれてくるモノ。聞いてもらう相手は,お客さんなのだが,,オケにもという幸せを分けてくれるのが,オケマンのソロなのかも知れない。
第一回目なのに,500人?のお客さんって,なんですかね。
それも,質が高い。
久々に,お客さんに届くように弾けた。
先に,書いておかねば,,,
マイ事故結構ポツポツと,,,
PIZZICATOを音楽的にしっかりためて,フォロースルーしたら,次のテイクバック時に,バキンとぶつかった^; イテテ。。それも,大切な静かな場所。。。。
’4の頭出だし,あれでは,わからんかった,,,弾き出すのを,ぎりぎり寸止めしたが,寸止め音発生,,,トホホ。まぁ,そんなこんなのやらかしがあった。。。周囲にご迷惑で,すみませぬ。。
言い訳だが,最後楽章で,緊張のエネルギーが切れてしまった感あり,,それ以前にエネルギー使いすぎてしまったかな。。。音楽的体力の限界。。。うむ。
全力で,音場可視化を提供を試みたが,さてはて,その効果,満足,共感的影響は与えられたのか,その価値はいかほどだったか,,いずれにしてもサイドとしてはクタクタであった。
クタクタの原因は,別メモへ。
原因解析の整理はさておき,サイドポジションは,いろんなモノが見え,聞こえる,,最近の定位置である。美味しく,密かに,演奏音楽堪能(楽しいだけではない)でもある。
元オケの延長線上の感覚を払拭させる術は持たないが,それが見え隠れするのが残念。これは,意識というか,生い立ちというか,個人の課題だけに,何ともできない。少しでも良い影響をもたらすことができればよいのだが。
奏法的には,必要最小限(脱力),共鳴,共感的合わせ,音楽的テイクバック・フォロスルー,そして音処理がキーだが,見えないモノにはみえないし,聞こえない。音楽は観るモノだという習慣が,いつか根付くことはあるのかな。見せる・魅せる,良き指導者の数に比例するかも知れない。
今回得られた成果には,「みえる」(みられる,みばえ,みせる)があるかもなぁ。
つづく,,,まだ脳内消化進行中,,,,。
チューニング
音の処理
音楽的な共鳴・共感・分かち合
重ね合わせ
合奏ってなにさ
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