最近にしては,とても良い,気持ち良い天気。
まだ,がらがら〜
出かけた後も,渋滞無し。気持ちよい,ハイウエイロードであった。
時間調整に,珈琲館にお付き合い。
隣の婆さんのタバコの煙が。。。
やはり,黙って付き合うのは良くない。
それに,コーヒーゼリーパフェっが,劇まず・大失敗・
あんみつ擬きのパフェアイスにすればよかった,,,とほほ。。。
さて,北区オケさんで,GP@北とぴあ 大ホールで。
前半が本来のGP
後半は,OPENGP。
日ごろは,生オケの音を会場で直接聞くことのできないみなさんが客席に。
我々は,普段着で。
でもおいらは,そんな方々のために一生懸命弾いてみた。
そしたら,相当疲れた。。。。
未完成冒頭で,ゲロゲロ音がばれる。出してる本人は,最低音に酔いしれているだけだろうなぁ・・・音楽に意味知らず。 Vlaの主さまからも,終わった後に「あそこのC#は,残りすぎだよね〜」『そうなんですが,,,分かってない人が,いきんで弾いているので何とも,,,。』と答えるのが精一杯。まぁ,5弦なんでも下げたがる,下げるときには我が道で弾くという,安易でありがちな似非Cb合わせなやり方の場面でもあった(他人のこれを強く批判していたはずなのだが,,さてポリシーは何処に)。。。仕方あるまいぃ。これでは低弦として(Vc<=>Cb)混ざり合わない。 簡単には伝えられない・つたわらない,一種の「言い訳の壁」(ソレはできない,,ならば弾かないになるはずなのだが,,言い換えれば「やらない」なので,ダークサイドな無視である,,もったいない)で阻止されるのである。 いずれにしても低弦として上手く構成されれば良いブレンドになるのだが。音にぶら下がる,下支えに乗っかる,下から支える,相補的な関係を考えて,どこの階層・倍音に入るかを意識して行くことが大切だ。機械になっては音楽ではなくなり,ただの部品になってしまう。
最低音を弾くときに,その弾き手の背景が浮き彫りになるモノだが,Cbが機械音楽というか,単純な低音装置になってしまってはなっ・・・発信体ではなくただの発音器にしかならないということだ。混じり合わせるための奏法と合奏力が試されるのである(音符の単価が低いのだから,他の楽器と違い一発の出だしや当たり前な合わせがCbのいのちだ)。それにしても,Vcの後方破壊装置は強力なのである。残念ながら直すすべなし,ましてやトラだし直言はね,,,。
ということで,Vcからみれば「Cb」合わせにくぃとか思っていてくれれば,「どうすれば?」という工夫が生まれまだよいのだけど,,音を構成するなかで向こうに「対峙しよう・・」「こっちが正しい」なんて思い込みしてしまっていると,いつまでも合わない・混じり合わないのである。Cb側からもそうなのである。だから下げるには,音楽的な目的,合わせようとする意志,我が道を捨て去ることが必要である。
オケ内でいろんな都合もあるが,こんな時は,指揮者に指摘して頂くか,Cbが一歩引くしかないのだ。今回の場合は,さすがであるが,黒岩先生から数回シューベルトの冒頭以外にも抜き出されて合わせ稽古をした。次第に合ってくるのだが,これは初めから合うべきキモな部分なので,音楽的にはちょっと恥ずかしい(言われること自体)。なんやかんやであるが,何とか臨機応変に「合わせる」,それが音楽なのだ,,。 最後の手段は,音を出さないもありだ。
ところでVaは,いつもながらこのオケの最強音楽システム・駆動体・発信体として高い機能を発揮している。構成員からすれば,当たり前とも言えるが,すばらしいの一言。。
そう,今回のプログラムでは,シンコペーションで構成される部分が,複数あった。この感じ方は,みんな苦手か,間違っているか,異常に多様性が高い(ふ〜んな解釈だったり)。シンコペーションで,刻まれるリズムを構成したいなら,ブレーキの様に聞こえる,延ばしてるなら息が抜けぜめくるめく流れのように・・つまり切れないような粘り感。3連符の定石に似てる。この感じ方がおいらと違ってた。
とはいえ,十分妥協できる範囲,むしろ合わせるには必要な調整もあった。結果的によい演奏になっていた。
オケアフターな食卓
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