Mahler, Gustav (1860 - 1911) : Symphony No.2 in C minor "Resurrection"
ゴールデンウィーク最終日。
道路状況が気になったが,,,問題無さそう。
ということで,予定通り集合1時間前に到着。ちょっと豪雨の予感。
チョイと 甘い物で,気付け。
TOPさま,遅れるかもに備えて,弓順一応確認し,メモ(._.)φ
でるときには,あがっていた。。。お腹が緩くなってきた。。。
まだ,鍵を開けてもらえませんで,待ち中。。。
P席は,合唱さま方。
さて,準備は。。。
音楽:おいらも含めて,予想範囲な事故だらけではあったが,,大事故(停止)には至らずよかった。何ごとも,軌道からはずれずもしくはすぐさま戻れて,目的に到達することの大切さを見聴きしたわけだ。こんな大仕掛けな大曲の練習限界による「大丈夫だろうか・・」は,相当なストレスだが,モニオケでしか味わえないともいえる。
もう少し距離をおいて考えてみると,管楽器の各パーツのすばらしいこと。コーラスやソロ・アルト,ソプラノのすばらしいこと。打楽器強者軍団は,すげ〜って感じ。(バンダ指揮で合奏までできそうだったのでは) やはり,復活はすばらしいなぁ,というのが率直な演奏感想。とりわけ,ソロも含めた合唱には,,演奏しながらの感動と何とかうたを支えなくてはという自然な音楽的善意を発生させる演奏であったと思う。うたブラボーだ。良いところは,これまでの「良い」演奏だったという感想の最高賛辞をこえるモノだが,,集団としては打楽器さまの嵐(後半は爆進か^!!)。同じ舞台では聴いたことも無いような,トロンボーン,チューバ,ラッパの金管群の圧倒(その辺のプロオケよりも,堂々としていたのでは)。そしてバンダさま方,,ちゃんと24時間を使ってきたんだなと,すばらしい(みえてない方がいいのかな,,,)。そして,木管群などは,どれから褒めちぎれば良いのか,といったところ。
ソロ楽器集団の管楽器群と,合わせ楽器な弦楽器集団の差は歴然としている。寄せ集めな弦を超えて,価値ある音楽で結びつきたいモノだ,,と思いつつ,顧み。
今回は,周りや見えるモノをよく見たり,このオケでのサイドポジションの果実を得つついろいろな実験もできた。
その結果,いくつかの課題や問題パターンを再認識。本来の速度感,テークバック,トリッキーな拍とり,時間ずれに対する対応,事故修正,一人奏法,今できなことの議論や確認,図形に集まることのできないもどかしさ,自己の不安か全体の不都合かの妥協,,などなど,,まぁ,これだけ濃密に気づく・気づける演奏会ってないものだ。
落ちない,飛び出さない,とりあえず弾けるみたいな三拍子そろった,「弾けた感」で良かったか悪かったかみたいなのが,弦にはすこ〜し漂っている。前提としてこれは重要なのだが,,,それって価値としては,中高大な学生オケレベルだろう。やはり,モニオケな強者どもとしては,音楽的にせめぎ合ったあげくにシュールなステージの何処にたどり着いたかみたいな,音楽的エッジ感がほしいぃ,,これはまだ薄い。たんに難曲・巨大編成をやってやったぜだけでは,みな不十分ではないだろうか。寄せ集めでせめぎ合いができたときの価値の高さは,ものすごいポテンシャルとして炸裂するように思う。。集団としてしてその域に達しているのは,やはり打楽器群なのかなと思われる。これは,人脈とかにもつながることなのかも。いずれにしても,次の境地が垣間見えるモニオケ。
まぁ,でもこのような音楽的エッジ感=せめぎ合いは,図形との真剣勝負が前提なのだなぁ。
これが変われば,劇的にモニオケは変わるともいえるし,,でももし変えたら自らの重力で爆発ってこともありうるかもしれないし,,簡単にはなんともいえませぬ。無難は,いまの構成で,変化するべき人々が変化を成し遂げる事なのだが,,,それも難しいかな。。。こういう時は,「継続は力なり」ということかな。
さてこれらを,Cbに投影してみると。
今回は,おいらはモニで初めてTOPサイドに座らせてもらった。サイドの場所って実はいろんな音楽的仕事を楽しくできるものだ。それも良いプレッシャーの元で。また,良くきこえるし,よく見える。 さらにCbにとって,重要な場所は,TOPの後ろだったりする。あまりここを重んじるTOPにであったことはないが,2列の列びならTOPの真後ろとかのコンビで全体を動かすことを意識できると,ダブルサイドな感覚でよいのだ。今回は,丁度真後ろに,双方方向性の違う双璧が居て下さったのだが,さてそれぞれがどう効果をもたらしたか。。
それはそうと,サイドでいろんなテークバック出しの実験をさせてもらった,,ん〜〜その効果は,,,,焼け石に水か,役立たずだったか,無意味か。ただ,自分へのフィードバッグとしては,初心かつやるべき音楽的善意な演奏に戻れたようでよかったともいえるが,,,ここに共感を与えられていれば良いのだが,,,さてはて,,,。ただその副作用も。今回はdivが多用されていたので,待ってる間に自ら音楽的にのめり込んで,思わず弾きだしてしまった,そんなみょうな行動に発展してしまったり。。。 一方で,周りのカウント感が違う違うと察知してしまうほど研ぎ澄ましたけど,周りを制御するすべがなかったり,,,なんだかんだ,結局小規模事故後正しく入れれば,軌道修正は瞬時にすむ。でも,結局周りのパートへの連鎖的不安定さを与えたのは,否めず。 いろいろな出し方を検討しつつ図形がしたいテークバックを作って実験してみたら,結構他の多くがなだれ込み弾きをしているんだなと気づく。まずは,図形通りヤルことも大切なんだが,,,ころころ変わる図形ではなんともなぁ,,,でもこれもライブ音楽の醍醐味といえるかいえないか,,これってもしかすると演奏力量バロメーターかなぁ,,いやいや単に図形の基本の問題だろう。。。結局分からん。
いずれにしても,個人の都合を細かく実現するおのおのな寄せ集めよりも,図形と対峙して個人から各セクションへとヒエラリキーでつながった空間で音楽的せめぎ合いの真剣勝負をモニオケでもやってみたいモノだ。いつもそればかりだと,すぐ息切れしてしまうと思うのだ。
☆オケアフターなサラダ:
ちょいと ビオラT氏と恒例の反省会。
やっぱり,図形なお話し。
いっぽうで,モニオケのすばらしい部分の確認しあい。
サラダ
今日は,満月:これぞスーパームーン。
ことの始まりで,今の終わりつまり終わりの始まり,いや次の始まりともいえるか。
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